ともびより(知日和)

ともBのつぶやき

お盆でございます。神道的なお盆

我が家は神道です。
でも、昔から神道であったわけではなく、仏教を信仰していた時も過去あったらしいので、両方を取り入れている家なわけです。

だから、お盆に迎え火とかやってても違和感なかったんですよね。
仏教的なやり方だと思いこんでいました。

 

でも、先日、神道的なお盆ってあるの?

って聞かれて・・・・

 

あれ?あれ?

考えが事すら無かった。

そもそも神道では死んだら神になるという考えがあるので、お盆ってどうなんでしょうね?

 

って答えてしまいました。

なので早速調べてみました。
色々調べてみたのを割愛ね

 

 

そもそも仏教の方に

 

お盆的な発想自体が存在していませんでした。
失くなった魂は輪廻転生の考えに基づくので、元来、先祖崇拝の考えも存在しない

 

って(笑)
調べてみてびっくりよびっくり。
こういう事に疑問持たないと調べもしないけどね、
みんな勝手な想像でやってるだけ(笑)

 

 

つまり日本のお盆ってのは宗教が存在する前の日本人的な発想ということも出来ます。
ここも説が色々あっても中国の思想の影響もあるって説もあれば、やっぱり日本独特のものだって説もある。

 

僕は日本独特の説を推したいとは思いますけどもね。

お盆に先祖の魂を家に迎える、お盆に親戚一同が集まるってのも、日本古来の考え方。
先祖の魂と、今生きてる一族が一同に揃うという特別な時であったのだな

 

って改めてお盆の見方が変わりました。

意味もわからず例年の事ってやってしまってるけど、背景が少しわかれば面白いものだな。
そうやって意味もわからずに、先代がやってたから自分もやる。
それも大事な事かもしれない。
そうやって受け継がれていくものもある。
それに伝えるって事は、必ず少しずつねじ曲がって伝わって行く。

今でこそ、インターネットとかで正式な伝統もある程度わかる。
でも、それすら、正式かどうかなんてわからない。
だって証明するものがないのだから。
学者が、これが正しいもの。って何人もいくつもの説を言ってる。これが普通だからね。

 

 

伝統を大事にするのも大事、でも伝統を時代に合わせて形を変えながら残していく、それも大事。
どっちも大事。


今、お寺や神社でも正座が出来ない人が多いからって椅子を用意する。
そしたら、参拝者だけ座ったらオカシイからって意見も出て、神主も結局立ち作法をやったりするわけ。これは正式じゃないけど、もういいじゃんね。

 

僕の意見としては、正座が出来ないからって参拝者が減っていくより、参拝しようって思う人の気持を大事に汲み取りたいからね。

 

 

まあ、この辺りは色んな意見もあって本当難しいけどさ・・・・