ともびより(知日和)

ともBのつぶやき

愚痴が言えない

心の中ではめっちゃ愚痴ってるのに愚痴が言えなかったりするわけです。

心を開いてないとかそう云う人は言いますけど、 なんで愚痴言わなくなったか?って原因がやっとこさ気付きました。

母親の愚痴を聞いてて本当に嫌だったから

ってわけですね。 嫁姑、夫婦、まあ、僕の思春期の頃は母親の愚痴のオンパレードだったわけです。 同じ話し(苦しみ)を毎日のように聞かされて、それは今でも続いています。 祖父母死後20年立ちますが何かの拍子にヒットしたら、思い出して愚痴が出てしまうんですよね。

うちの男衆は愚痴を言わない分、母親がすべての愚痴を1人で言っているような空気ですらあります。

もう20年経つし、好い加減どうにかならない?とか最近は言いますけど、 やっぱりコレも自分の問題かな?

 

まあ、僕が愚痴言わなすぎだから、愚痴言っても良いと教えてくれてるとか解釈も出来るけどね。

 

僕が一番嫌だった記憶は、ご飯食べながら、母親が年寄りのうん◯とかの愚痴の話をしてたんだよね。 塾とかも行っててね、遅く帰ってきてご飯食べてたら、1人じゃあれだからって母親が来てくれるのは良いけど、 うん◯の話とかね^^;

結果、僕が母親の味方だったのは本当に助かったって後で言ってくれましたが、 愚痴を聞くのもうんざりしたので

こんな愚痴聞くの大変なら言わないほうが良いな

って思ってしまったんですよね。 愚痴を言う=人を不快にさせてしまう

僕の世界ではこうやって形成されました。

でも本人は愚痴でも言わないと本当にやってられなかった。ほぼノイローゼになってたし。 それだけ本当に辛かったってこと 愚痴を言ってくれるから、何かアドバイスも出来た。 母親は幸い、言うだけじゃなしに人の意見を聞こうとする姿勢をもっていた。 愚痴を言ってくれたから年を取ることって何か若いながら考えさせられた。

死んでくれてやっと落ち着いた。 ってそんな言葉も本当に言っても良いと思うし、言わせてあげれる。

実際、シモの世話とかは僕はやらなかったけど、愚痴を聴くことで臨場感豊かにリアルに想像できた。

こう振り返れば、愚痴を聞いて悪かったって気がしなくなるなぁ^^;

愚痴と言っているが、 事実は

ただその日あった話を聞いてただけ

 

それをよくない話として愚痴ってものに仕上げていたのは僕でした。

うーん、面白いから、どうからじゃなしにただ話をするってのも本当に大事なんだね。 それに事実を述べるだけなら愚痴ではなかったしね。 こういう事がありました。私はこう思いました。 話すことで内観の材料にもなるわけだね。

あーそれに人が思いっきり愚痴ってるの見て面白いって思うことあるよね。 腹の底見せてくれてーありがとう。 ってよくよく思う。 じゃんじゃん言って行こう!

時と場所は選べますからね^^;