暴力についてまた考える
暴力はいけないもの
強く思っています。前もちょいと書きましたが、6歳上の兄に暴力奮われて辛い思いもしたので、人には暴力を奮わないと決めました。
暴力を奮わせる現実を作ったのは自分だという視点で考えます。
暴力が良くないと認識する為の体験だった。
暴力を奮われても、それでも兄の所へ行ってた。身体の痛みより心の寂しさの方が辛かった
1人になるならイジメられる方が楽だった。
それだけ孤独が辛い
そもそも絶対に暴力はいけないのか?
今は完全に暴力はNGとしている。
でも、よくよく考えたら暴力というか体罰的な事も必要。そうしないと理解出来ない人もいる。としたら?
こちらがどういう思いで、その行動をして、それを時間がかかっても必ず理解してくれると信じくれると確信してやるのなら?
そういう暴力なら使っても良いよね。
完全にNGにしなくて良い。必要ないから使わないだけ。使う自由を赦します。
で、暴力を奮った兄の思い
中学生で反抗期でストレスMAXで誰かに当たらないといけない状態
そうでもしないとやってられなかった。
家の壁にも大穴もあいて、ドアも壊す。それくらい荒れるしかなかった。
そんな中、良い子で親の言う事よく聞いてる弟を見たらどう思うだろう?
腹が立つ。当然だろ。
自分で自分を制御出来ない状態の人に刺激したら、思わず手が出てしまうかもしれない。
それだけ苦しんでいた、とも思える。
兄からしたら僕が妬ましかったのかもしれない。(初めて気づいた)
他の家族は平和主義。暴力を奮わない。父に体罰を受けた事すらない。
もし一族の抑えている暴力性を兄が吸い取って表現していたとしたら?
争いを好まない一族の隠れた闇なのかもしれない。
温厚で優しい人ばかりだと言われる一族
逆に言うと、誰もみな暴力性を抑えている。抑えすぎて無いとすら思っている。
ある事を認めよう。
暴力的な兄に散々振り回されたけど、今、兄は立派な父親になっている。誰もみなあの時の事を赦している。今の兄の姿が兄なのだから。
暴力でしか学べないこともある。